WHY DRAG? を読んで オススメと「ドラァグ」ついて考えたこと

WHY DRAG? を読みました
2016年に海外で出版された写真集の翻訳本です。
写真撮影と共に「Why drag?」なぜドラァグするのか?という質問の回答が掲載されています
ちょうど明日werq the worldが日本公演をしたり、水原希子さんがチャチキ公演を招致したり
日本でも人気が出ているベストなタイミングでの出版です。
なにより2016年の本が今翻訳されて出るというのもいろいろな方の努力や思いがありそう…(勝手に思ってるだけですが)

国書刊行会 公式ページ
著者は Magnus Hastings マグナス・ヘイスティング 
(海外版のアマゾンページだと中身が見られるので気になってる人はぜひ)

翻訳松田和也 日本だけの仕様として 解説エスムラルダ 帯の推薦水原希子
(以上敬称略)
どんな本なのか?誰がでてるの?などはこちらのブログがとても見やすく解説がありますのでおすすめです。
ドラァグレース出場者やドラギュラ出場者のリストもありますよ。

※この記事は感想をだらだら書いてるだけです
感想
あとから調べると、かなり有名な方なのですが勉強不足でしっかりと写真に向き合うのは今回が初めて。どの写真も色彩が強烈に感じる。色の有無に関わらず強烈に感じました
肌のキメや化粧の粉っぽい感じ、眉潰ししたテクスチャの上の眉毛とか、筆のヨレ感…
なんでもツルツルに加工するのではない、ある意味での荒さが強く印象に残る。
著者の序文にある『だから私はこの目とカメラを使って、この世界の信じられないパワーと多様性を豊潤なテクニカラーに捉える。』とまさにそんな感じだと思いました。

彼は初めて見たクイーンがオズの魔法使いのドロシーの格好をしていたと書いていることと、(そしてドロシーはゲイアイコンですよね)「テクニカラー」を語っていることは関係があるのかもしれません。
テクニカラー」は単純に「あざやかな」という意味の他にフルカラー映画の技術の名前なのですがオズの魔法使いは初のテクニカラーのフルカラーの映画として有名です。(実際は初めてではないようですが)
彼の写真を見るとオズの魔法使いのスチール写真の質感を思い出すんですよね…(素人なので何がそれを想起させるのかはっきりとはわかなないのですが)

3/5 追記
ジュディ・ガーランドはなぜゲイの人々から支持され、ゲイ・カルチャーのアイコンになったのか?
ジュディガーランドがなぜゲイアイコンなのか?について詳しく書かれた記事が公開されていました。
ドロシーそして、オズの魔法使いそのものがキャンプであることも記事中に解説されています。

Why drag?については いろいろな回答があります
オフドラァグのパーソナリティがまじめに語っているような回答もあれば
ドラァグのペルソナが語っているようだったり、大喜利みたいな面白い回答だったり。

ただ、少し気を留めるべきかなと思ったのが2016年の発言(取材期間を含めたらもしかしたらそれより前)という事。
ペパーミント(2017年にドラァグレースに出場後、性別移行した)や
ミスフェイム(先日ドラァグではない宣言した)は今聞いたら絶対違う回答なんだろうなと思いました。

でもその時を残せることこそ、本・写真集の強みであり良いところですよね。
他のクイーンも今聞いたらまたスタンスが違う人も居るかもしれない。
特にドラァグレース出場クイーンは(ここ数年の動きを知っているので)メイクアップもちょっと懐かしいというか、今の進化を感じられるクイーンも多かったです。

序文には語られてたドラァグキングがいなかったのは少し残念ですが、
それ以外は本当に多種多様で、それこそが何にも縛られない表現こそがドラァグなんだと思いました
起源から考えると政治的な側面があるだろうし、
それこそ楽しみとしてベッドルームクイーンとしてやっている人も居るだろうし。

ドラァグの政治的な側面について
最近ちょっと気になってるトピックです。
本の中でも政治的な意図があるという人は沢山います。
また話がそれますがDRUKでトップ2になったディヴィーナさんは
このインタビューでドラァグは100%政治的なものだと語っていましたし、

RPDR S12のプロモーション番組でも政治的な側面も質問されていました。

またYoutube 15周年の企画記事でドラァグをメインにした記事も出ていました。
ツイートには書き切れなかったけどレディバニーへの取材もあります。

ちょうどイヴィがこんなことを。
ドラァグクイーン=ドラァグレースとなり
ドラァグクイーンがステージ外でドラァグレースの中での全てを
常に求められていることに疑問を投げかけていました。

さいごに
ドラァグが アングラではなくなりポップカルチャーになった現在。ドラァグを世界に押し上げた「ルポールのドラァグレース」の在り方が逆にドラァグを再定義してしまっている(かもしれない)現在。(RPDRは以前から多様性がない事が批判されています。 そして是非、ドラァグでの多様性で何歩も先に進んでいるドラギュラS3を見てください。)

エスムラルダさんも解説で ご本人がルポールに影響されながらも、順位を決めるドラァグレースは『あまり好きではありません』とおっしゃっています。ドラァグは『美しく気高い、「自分」という国の主』であると。

現代において(それこそ1年ごとに世界が大きく変わるような現代では)「Why drag?」ももっともっと裾野が広く色んな回答が出てくるのだろうだと思いました。