ドラン映画(というかドラン)が好きで近作以外は見てるんですが(たかが~とジョンFはドランが出てないし評判もイマイチでサブスク配信もないので見れていません…)
かなり上位にくる良さだったのでふせったーに投げていたものをこちらにまとめます。
ここまで色々考えたくなる映画は久しぶりで楽しいです。しかも人によって全く感想も解釈も違うんですよね。
そこも詩的な映画なのかな~と思ったりします。個人的には色々喋りたくなる映画は良い映画だと思う。
※アメリカのAmazonプライム(英語字幕)で見たので完璧に追い切れてない部分もあると思うのでご了承ください。
※完全な個人の解釈です
大好きな映画たちとの比較
(大好きな映画)cmbynから着想を得たって公言されてるけど、
あれを現代に30歳に置き換えたらどうなるかって考えてドラン要素を足した感じ。
ゴッズオウンカントリーも大好きなんだけどそれにも通じる。
cmbynはストレートと装ってきたオリヴァーがエリオという本物の愛に出会うけど(ひと夏の思い出に閉じ込めてしまうけども)
m&mもマティアス→マキシムの構図はすごく似てる。水辺にバカンスの雰囲気も。cmbynほどカラッとしてないのはドランぽい。
10/3追記
2回目見てるけどそういえばトイレのシーンはcmbynのオマージュかなと思ったあのジョボボ音…
本人は男同士だから気にしないけど意識してるとちょっとエロく感じてしまう演出…?(という解釈なんだけどちがうかも)
マティアスの子供の頃の絵を見つけて愛を認識するシーン、絵が二人で農場をやっている(農場で二人が車に乗っている)絵なんですよね。
これもゴッズオウンカントリーそのものだし、ハッピーエンドの示唆としてのオマージュかなと思った。 また冒頭でジム帰りで二人が車に乗ってるのも伏線だったりするのかな。
「ドラン的」な映像
映像は相変わらずドラン節が効いてて
泳ぐシーン、木枯らしのシーン、雨、穴から覗くキスシーンなど 心情が風景になるシーン
特にドランがマティアス役の人の容姿が好きって言ってるだけあって どのシーンもセクシー (該当インタビューがとても良いので是非読んでください)
泳ぐシーンはそれだけで見て良かったと思った。
そのインタービューからドランの言葉を引用すると
『つまり、この映画のテーマは決して同性愛ではなくて愛なんだ。その瞬間が突然やって来た時、どう反応すべきかってね。僕らは周囲から枠にはめられがちだ。ストレートかゲイかバイセクシュアルか。彼らもその枠にとらわれてしまい、変わりたいと思ってもそこにはリスクが伴う。本当に自分のことを理解しているのかどうか、アイデンティティーを追求する。自分はリベラルな人間だと思っていても、実は固定概念に縛られている場合がある。セクシュアリティーは一度選んだら変えられないってね。それが隠されたテーマでもあるんだ 』
当事者として…
これ異性愛者の人が見たらどうなのかわからないけど、当事者目線だとめっちゃわかる、、、みたいな話で
あんなロマンチックな事はなかったけどあんな事あったな〜みたいな 30歳になって人生振り返って昇華したような話だった。(公開時のドランと今の自分同い年なんだよね…)
性的指向に揺らぐ中で、友達?それとも…?でなんか惹かれ合ってるけど何ともなく時は流れてなかったことに…みたいな記憶。
個人としての解釈
2人はストレートだと思いたかったバイセクシュアルで、キスをきっかけにそれに気付いて、葛藤しながら認めて、お互い友達のままでいようって決めたんだよね。
でもそれがお互い口に出さなくてもわかってるからもっと絆を強くする。
だから2人はずっとこのまま進展する事なく親友のままなんだろうと思う。
というのが自分の解釈。
cmbyn的な悲恋に終わるのかと思いきやゴッズオウン的なハッピーエンド(だと自分は思う)で良かったな。
ゴッズオウンカントリーは2人でいる道を選んだけど。
そこもまさにこの2作品のあいだという感じ。
別々の道を選ぶけど、それは満足していて幸せ。
そこが30歳くらいの大人のラブストーリーだな〜と思った。
ドランは異性愛と同じだって言ってるけど、クィア映画たる映画だなと思う。
10/3追記 マティアスが最後に現れたときのマキシムのあの表情…絶対に「嬉」ではないよな… 何で?って顔
もしかしたら親友のままではなく「友達」として距離を置いてしまうかもしれない。
マティアスの笑顔も二人でやっていこう、というより友達としてこの前のことは流して元に戻ろう、っていう清々した顔に見える。
それでも相手が認めた時点で愛情は昇華されているのでグッドエンドだと思う。
ただし色々な方の感想を読んでいて、
全てから逃げるはずだったのに、マティアスが戻ってきたことはバッドエンドだとか(もしそうだったらトムアットザファーム的なエンドだなと思う)
マティアスがマキシムといることを選ぶとか
マティアスみたいな男に振り回されたいドランの願望(他の作品もドランの相手役はそんな雰囲気だよね…)だとか
本当にいろいろ解釈があるんだけどどれも頷ける。すばらしく絶妙なエンドなんだと思う。
マキシムの心情描写がなかった…?件(そんな事なかったと思うという話)
マキシムのマティアスへの心情描写がなかった、みたいな感想を見て。
自分は十分あったと思うのだけど、
以前に何かあったと示唆する友人たちの会話とか
バスでイケメンから意味ありげに見つめられるとか
母親が悪口で「クローゼット」のゲイだって示唆するとか
そういう積み重ねが、間違いなくストレートを装って諦めてるゲイ(またはバイ)だと思った。
ドランのインタビューでの言葉はストレートに「見える」意味だと思うんだよね。
(マティアスはストレートかも)
10/3追記 バスのシーン、マキシムの痣から出血してそれを見た青年が顔をしかめるっていう幻想が挟み込まれてて
アザ≒ゲイの象徴なのかなと思った。アザ(ゲイ)を見られて相手が嫌ったらどどうしよう…という象徴でもあり世間と隔てるバリアにもなっている。
友達を好きになってしまって、何事もないように隠す事が同性愛者として心当たりがありすぎて凄くスッと入ってきたんだよね…好きだけど隠してるを通り過ぎて諦めてる
友達と割り切り終わった後の話なんだろうと思った。
映画のキスの時のスンとした感じとか
翌日湖で泳ぐマティアスを見る目とか
2回目のキスも「受けてる」感じとか、
それだけで十分心情が伝わった
だからこそマティアスから好きになってくれたことって信じもしなかった事だし
それで十分で先に進まなくても良かったんだと思う。
自分はあの後友達に戻ると解釈してるけど、
友達に戻っても、その事実だけで生きてけるんだと思う。
胸騒ぎの恋人も成就しなかったと記憶していて(記憶が曖昧なので見直します…)
だからドランが肯定的な愛の形を描いたの凄いと思った。
胸騒ぎの恋人を見直して思ったこと
マティアス&マキシムと似てる、と言われてるしそう思ったから見直したんだけど、むしろ正反対なのかもと思った。
胸騒ぎの恋人は人たらしの美青年が男女の親友の間をかき乱すって話だったけど、m&mはかき乱されるのはマティアスなんだよね。
心情と風景が重なるシーンもマティアスが多かったし何よりタイトルがマティアス&マキシムでマティアスが翻弄される人物としてのメインなんだと思う。
胸騒ぎの、ストレート(たぶん)男性に振り回される、振り向いて貰えない、ゲイだから という物語から
m&mは(ストレートの)マティアスの方が追いかけてる側(街で他人をマキシムと見間違えたり、遠くから見て微笑んだり)なんじゃないかなと思った。
それはドランのゲイだから、の悲恋から、追いかけられる側になっても良いんだという心情の変化にも思える。
ドラン映画は設定違うのにドランはじめ役者も同じ事が多いから、各映画が繋がってドランの成長譚のようにも見えるんだよね。
10/19追記
トム・アット・ザ・ファームを見直して思った事
この映画は自分の中のドランベストだ!と思ってDVDも持ってるんですが、改めてみると結構しんどい。
DV描写や最後まで「ゲイ」であることが認められないこと。
5~6年前初見当時はこのヒリつきこそ耽美!ドランの真骨頂!みたいに思っていたけど、今になると胸騒ぎ~やマティアス~のほうが胃にやさしい。自分は年々 辛かったり重かったりする作品を見るのに腰が重くなっていくけど、ドランも歳を重ねて少しマイルドなった説ある?と思ったりも。
この5年で世界的にもLGBTQがもっと認知されて尊重されてて、マティアス~にもそんな時流も関係してるのかなと思った。(マティアス~にもうわべ的とはいえ、キス撮影時の妹のセリフにもあったし)
しかしトム~のドランの美しさはドラン史上最高という個人的な評価は変わらなかった。改めて時を閉じ込めることができる映画っていいなと思う。